2012年10月26日金曜日

宴の準備と人々をつなぐ「食」の可能性

 10月12日(金)。朝から、協議会が主催する交流会(兼、私の歓迎会)の準備を。会場は、旧三之助旅館の大広間。三之助旅館は、かつて浦河を訪れるお客さんたちに、地元で採れる新鮮な海の幸を美味しく食べてもらうために、魚の仲買人だったマルセイの祥子さんのお父さんがつくった旅館。なんと浦河港の真ん前にあります。当時は地元の人たちの祝宴などにも使われ、多くの人にとって思い出深い場所とのこと。
厨房に立つ、ベテラン調理人たち
 今は住宅として使っているとはいえ、台所は最大100人の宿泊客の胃袋を満たしたという本格的な厨房。台所好きとしては、かなり盛り上がります。交流会は、参加費500円、一品持ち寄り、飲み物持参という形式でしたが、主催者側でも料理を用意。旅館の元女将の雅子さん(祥子さんのお母さん)を筆頭に、「おかんのおかず弁当」のメインシェフ、おかん(藤本さん)、三之助旅館から生まれ、今もその志を残す「味処三之助」の若女将をやっていたこともある祥子さん、という強力な布陣のもと、私は「洗い場」担当として、ひたすら鍋や食器を洗っておりました。

すすぐ水に注目
 雅子さんの担当は「さんまの煮付け」と「鮭汁」。「さんまの煮付け」は、先日の「おかんのおかず弁当」にも登場し、私もお裾分けを頂きましたが、おそらく人生で一番美味しい「さんまの煮付け」でした。その秘密を探るべく、私は洗い場と調理台を往復しながら、調理を記録。美味しい「さんまの煮付け」の秘密のひとつは、おそらくこの徹底した「そうじ(下準備)」にあります。すすぐ水が全く濁らないほど、丁寧に内臓などを取り除くのです。美味しいものをつくるには、それだけの時間がかかるということなのですね。












足台に乗って巨大鍋の様子を見る雅子さん
「鮭汁」は、同じ鮭を使ったものでも「石狩鍋」とは違って、調理場で仕上げて提供するもの。 使った鮭は、日高が誇る天然秋鮭「銀聖」を浦河で水揚げする網元「三協水産」の跡取り、小西さんからの「一品持ち寄り」。鮭一尾を持ち寄るというのも豪勢です。これを、巨大鍋で調理。浦河ではいろいろスケールが違います。















卵を40個むいたのは人生初
私も少しは調理のお手伝いを。協議会メンバーで養鶏を手がける「キッチンサイドファーム」の櫻井さんの「一品持ち寄り」は、平飼い鶏の卵40個。これは茹でて味噌漬けに。きれいにむけていないのは、私の不器用さではなく、あまりに新鮮なせいですので、あしからず。

夕方からは、お客様を迎えるため、普段は洗濯物干場と化している大広間を整えます。私はここが旅館だった頃を残念ながら知りません。でも、お誘いした方たちに交流会の会場が旧三之助旅館の大広間であることをお伝えするたび、みなさんの顔がぱっと明るくなるのを見てきたので、浦河の人たちにとって大切な場所なんだと、掃除にも気合いが入ります。








交流会では七味の瓶をマイクにリレー方式で自己紹介
朝からの怒濤のような準備を終え、6時半すぎからお客様をお出迎え。
みなさんが、手に手に自分の一品を持って広間に入ってくる様子は、とても素敵です。持ち寄り品を置くテーブルは、あふれんばかりの浦河の食の饗宴(バタバタしていて写真を撮り逃してしまったけれど)。
 今回、会場の広さから、泣く泣く絞り込んで集まって頂いた参加者は、漁業家、野菜農家、酪農家、養鶏家、飲食店主、高校養護教諭、中学教諭、図書館長、社会福祉協議会職員、映画館主、浦河への移住者(美容室経営者とその家族、アメリカ人英会話講師とその奥さん)、そして役場の食や観光、移住に関わる職員などなど。さらには、浦河出身の映画監督、田中光敏さん監修のもと役場が制作中の浦河町PR映像の撮影に訪れていたクルーも飛び入りで。

 この交流会では、初めて顔を合わせたという方も多くいらっしゃって、これだけ多様な領域の人々が関わりうる「食」というものの底力をあらためて実感しました。
その一方で、やはりこの光景は、どのまちでも見られるわけではないのだろうな、ということも同時に思いました。協議会の代表である直さんと祥子さんが、これまで少しずつ築いてきた関係と、まちの人々のオープンさ、そしてここにある「豊かな食」あってのものだと。
私もここでまた、いろいろな方と出会い、次につなげていけそうな話をたくさんすることができました。半年で実現しきれるか?というくらい。これからが本当に楽しみです。
(宮浦宜子)