まさに、浦河に住んだら、魚のさばき方を身につけたい、と思っていた私にとっては、願ったりかなったりの機会です。こういう学校を、すでにはじめている人がいる、というのが浦河のすごいところ。そして、参加者15名のうち、半数近くが男性。すばらしいことです。
サメガレイとの格闘
正直、最初はひるみました |
サメガレイ担当はもちろん校長。プロの技を身につけようと気合いを入れている参加者を前に「昨日、私も一応Youtubeで予習しました。復習には、そちらもぜひ参考にしてください」と言う、お茶目っぷり。とは言え、お手本を見せてくれる手つきはやはりプロのそれです。
サメガレイはその名の通り、サメのような荒々しい表皮をもつカレイ。ケガをする可能性があるので、軍手をはめて触ります。まずはえんがわを切りとるのですが、実際にやってみると、もうその時点で包丁が入らない。魚をさばくには、意外と力も必要なんですね。初心者は包丁が入りやすいポイントを見つけられないので、なおさらです。
そして、いよいよ皮むき。裏側の尾の近くから、表皮の手前まで包丁を入れ(私はお約束のように失敗し、表皮が半分切れましたけど)、表皮と身の間に親指をいれ、尾と身をつかんでバリバリと引きはがします。これも、かなり力がいるので、教室内はアクロバティックな様相に。でも、きれいにむけると、歓声があがります。
皮をむいたら、いよいよ五枚おろし。ここまでの私をはじめとする参加者の包丁さばきレベルを見てか、校長は「五枚おろしはやめて、煮付け用にぶつ切りにしようか」とおっしゃったのですが「せっかくなので五枚おろしやりたいです!」と主張し、予定通りチャレンジすることになりました。
ところで、みなさんは五枚おろしがどんなものかご存知ですか。私は直前まで、背骨と、その上下の身を薄くそいだ2枚で計5枚と信じていました。なので、上下の身を2つに割って5枚にするのが「五枚おろし」とを知って、それなら楽勝、と思ったのですが、そう甘くはありませんでした。
まずは背骨にそって、包丁を入れ(ファスナーを開く感じ)、そこから背骨と身の間に包丁をいれて身を外します。校長は「包丁が骨にあたってコツコツというのを感じながら切るときれいに外れます」とおっしゃるのですが、コツコツなんてしない…。「あれ、まだ骨に触らない」などど、何度も包丁をいれているうちに、身はどんどん刻まれ、崩れていきます。一枚目は「切り身を目指していたらしきもの」という代物に。
正面を向いているのが池田校長 |
哲学的「いくらの醤油漬け」に驚く
「今年は○○が不漁」というニュースは、私にとって遠い出来事のひとつだったのですが、浦河にやってきてから、漁業に関わるまちの人にとって、それがどんなに大きなことなのか、ということが少しずつ感じられるようになってきました。そんな中での、いくらの醤油漬け。本当に本当に、貴重なものです。
いくら担当は校長夫人、磯場屋のおかみです。「今日は『池田家のいくらの醤油漬け』を、みなさんにお教えします。これは私がお嫁にきた池田家のお義母さんから教えて頂いたものです。それぞれの家に、それぞれのいくらの醤油漬けがあります。でも、私はこれしか知りませんので、これをみなさんにお教えします」。浦河の各家の冷蔵庫には、ひとつとして同じもののない「いくらの醤油漬け」が入っていて、それぞれが、これが「いくらの醤油漬け」だと思っている、というのは、実はとても豊かなことなんじゃないかと、思います。
今の子どもはいくらになる前の筋子、知っているのかな |
「皮から卵を外す時、ラケットや網を使う人が多いですが、うちでは使いません。手で外します」。また、そこでも「ヘー」という声が。筋子は全体が完全に皮で覆われているわけではなく、すっと一筋、切れ目があります。そこに指を差し込み、まずはシート状にひらきます。その時点でもう、魚卵がつぶれるのではないかとひやひやです。さらにそれを手で外すって、大丈夫なの?と、不安がふくらみます。
「開いた筋子を皮を表に二つ折りにたたんで、上と下から手ではさみます。そして、両手を静かにこすりあわせると、ほら。卵が外れてきます」。なんと、卵で卵を外す、という方法なのでした。確かに、ぽろぽろ魚卵が外れてきます。つぶれそうで怖いのですが、意外とそんなことはありません。恐らく、新鮮な筋子を使うからこそ、成立する方法なのでしょう。魚屋を営む池田家ならでは、かも知れません。外れた魚卵をすすぎ、からみついている皮や血管などのゴミを取り除き、いよいよ味付けです。
池田家の漬け汁を調合する校長夫人 |
「今日はこの表は使いません。池田家の漬け汁をお教えします。うちでは、昆布醤油と酒を使います。でも、配合の割合はありません。うちのレシピはこれです」と、漬け汁に人差し指をつけて、ぺろりとなめる校長夫人。
「私は舌で義母の味を覚えました。もちろん、舌が頼りですから、味は変わります。『ちょっと薄味だったね』『今回は濃い目だね』という会話も、食卓の大事な『一品』になるんじゃなるんじゃないでしょうか」 。
つくるたびに味が変わること、それを家族で確認しあうこと。それもまた「一品」なのだ、というこの発想。一定しているからこそ「我が家の味」であると思っていた私にとっては、衝撃の一言でした。味は、決まっているけど、決まっていない。私は、この哲学的な「池田家の漬け汁」を、ありがたく自分の漬け汁として、使わせて頂きました。魚卵がちょうどひたるくらいの漬け汁に魚卵を漬けこみ、一晩おいてから汁を捨てることで、「池田家のいくらの醤油漬け」は完成します。
私の「赤い宝石」 |
参加者のそんな様子をみて、校長夫人は言います。「人間も、佐藤さんと田中さんで、顔かたちが違ったり、鼻の高さが違ったり、肌の色が違ったりするでしょ。同じように、鮭も一尾ずつ違うのです。お母さんがそれぞれ違うのだから、卵だって、それぞれ違うのはあたりまえ。でも鮭の卵という意味ではみんな同じなんです」。これまで「鮭」「カレイ」とひとくくりにしていた魚たちも、それぞれが固有の生命なのだ、ということを、こんなかたちで認識させられるとは思ってもみませんでした。
磯場屋のおかみであり、池田家の嫁である、校長夫人が語る言葉は、ひとつひとつがきらりと光っていて、人々の営みの中から生まれてきた生の言葉には、本当にかなわない、と心から思いました。そして、こういう言葉に直に触れられることの幸せを感じました。
試食会まで贅沢な「磯場屋学校」
そして、最後はお待ちかねの試食会。私たちが、サメガレイやいくらと格闘している間、教頭とスタッフの方たちは、ずっとこの試食会のための準備をされていたのでした。この日のメニューは、タラのソテー2種と鮭の炊き込みご飯(レシピはこちら。とても上品なお味で、おもてなし料理にぴったり)。最初は、その日さばいた魚をその場で料理しないのが、不思議に思えましたが、いろいろな魚を味わい、料理方法に触れてもらうには、とても良い構成、と納得しました(もちろん時間の関係もあるかも知れませんが)。
料理の説明をする教頭 |
ひとりの転勤族の奥様の「こんな教室があるなんて、浦河は普通の田舎ではないですよね」という言葉には、まったくもって同感。魚屋さんを先生に、とびきり新鮮な魚をさばき、美味しく食べる。「磯場屋学校」は、本当に贅沢な学校です。
鮭の心臓はイタリアンやフレンチの食材にもなりそう |
この鮭の心臓も、教頭がぜひ参加者に食べてもらいたいと、校長に用意してもらったものだそう。校長、校長夫人、そして教頭。みなさんの、魚と参加者への愛情がこもった素敵なプログラムでした。
白ワインと頂きました |
サメガレイ、かつてはそのグロテスクな姿ゆえか、あまり人気がなかったけれど、近年その価値が見直されてきている魚のひとつなのだそうです。この脂の感じは、魚を食べつけない若い人にも、好まれるだろうな、と思いました。これから人気がでそうな魚です。
金曜日のさんまの煮付けと鮭汁、土曜日のいかと飯寿司、そして今日のサメガレイといくらの醤油づけ。この3日間で、浦河の魚とそれにまつわる文化の一端に触れることができましたが、多分これは、ほんのはじまりに過ぎないのでしょう。季節ごとのさまざまな魚、そして、魚を穫ること、商うこと、料理すること、食べることにまつわる豊かな文化に、この先にどれだけ出会えるのだろうと思うと、これからが本当に楽しみです。
※磯場屋学校への参加の様子は協議会メンバーもレポートしてくださってます。
(宮浦宜子)