2012年11月8日木曜日

ヨソ者と若者によって

 宮浦さんというヨソからの人を「研修生」に迎えてから1ヶ月と少しが過ぎました。
本人のみならず、わたしたち協議会メンバーにとっても刺激的な毎日の連続です。

協議会事務所にもなっているマルセイ事務所にて
レポートを作成中のコーヒータイム。

彼女の発信するうらかわの情報は、遠くの「ヨソ者」に限らず当地で暮らす浦河町民や浦河を離れて暮らす浦河出身者の元にも、魅力あるレポートとして伝わっているようです。協議会代表の小山がこのところ何度となく声をかけられるのが、「あんた、よくぞあんな人材を連れてきたくれたなぁ。ありがとう!」という言葉です。


こんな嬉しい反響からも、町づくりに必要だといわれている、「ヨソ者」 「若者」 「バカ者」 がどんどん協力しあえるようつながりが生まれ、ワクワク感を感じる最近の浦河です。





 




地元の魚屋さんが主宰して
3年目の「磯場屋(いそばや)学校」に参加。
エプロン姿に照れてます。
このワクワク感の始まりの火種となった若者が、間もなく25歳になる村下知宏くんです。実は娘の小学校からの同級生の彼、私などは、ついつい「村下さん」ではなく「村下くん」と言ってしまっています。
(実際は、親しみを込めて小さなころからの愛称の、「ともじ」とも呼んでいます^^)

浦河高校を卒業後、東京での大学時代から「地域活性化」というテーマに関わる活動を続けていた村下くん。上京後に改めて出身地の浦河を外から見たことがきっかけで、大学卒業後に「地域を元気にするビジネスを立ち上げたい」という想いを持つ仲間と一緒に東京都・奥多摩町に移住して起業したのが、2010年の春のことでした。

自ら「ヨソ者・若者・バカ者」として新しい地域に入り、実際に活動した中で、「何をすれば地域のためになるのか?」 「どうすれば自分たちが自立できるビジネスを立ち上げられるのか」 という二つの相反する課題にぶつかったそうです。

この地域に入る前に、NPOや企業でも地域活性化に関する勉強をしてきた仲間と一緒に、自分たちのアイデアや出来ることを頼りにパソコン教室や町内のアーティストの情報発信、空き店舗の再活用など、色々と試みてみたものの中々うまくは行かなかったようです。一年後、彼は学生時代にお世話になっていた地域づくりに関するコンサルティングを行う企業の方からの誘いを受けて、奥多摩の活動からの離脱を選択。「自分の能力不足を痛感した」と言いますが、大切な経験でしたね。

期間限定でお世話になったというその企業で関わった主な仕事が、市町村などに対して「ヨソ者」の視点から新しい発想や企画を提供するのと同時に、その地域が抱える課題や展望に繋がる企業を繋げてゆくような自治体へのアドバイス業務。そして、都市部の人材と地域とのマッチング業務として、「ヨソ者」「若者」「バカ者」に地域で活動してもらうための支援でした。

マルセイニュース90『地域に種火を起こし、人と人をつないでいきたい』 村下くんの寄稿参照

収入を補うために草取りのアルバイトも経験。
すべてのことが、貴重な経験としていかされるはず!
一緒にがんばろうね、ともじ^^
この春、彼は浦河に帰って来ました。そして、この2年間で自らが学んだこと、「ヨソ者が種火となって地域の普通の人たちを繋げる」という実践に挑戦しています。
「若者」としての自らの存在と、「ヨソ者」として多様な視点を持つ研修生を迎えたことによって、浦河には種火が起きたようです。さあ、あとは「バカ者」たちが登場するだけ!地域コミュニティ力のある浦河です。彼らと一緒に新しいつながりを実感しながら、自分たちで育んでいく町づくりを、みなさまとも共有できたらと思います。

(小山祥子)